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妻鳥純子

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ドイツ語の詩脚(Versfuss)について 23.Jan .2015

  • 妻鳥 純子
  • 2015年1月23日
  • 読了時間: 4分

昨年12月16日、このホームページに「ドイツ歌曲への誘い」の第1回目を終えたことを載せ、その時にその内容報告の中でドイツ語の詩脚(Versfuss)のことについて、少しだけ触れたのであるが、今後また、Jambus、 Trochäusが出てくると思うので、今回もう少し詳しく書いてみようと思う。強弱を記号で示すのは困難なので、「強弱」といった書き方をする。 「ドイツの詩と音楽 赤井慧爾著 南江堂」、「ゲーテの詩とドイツ民謡  赤井慧爾著 南江堂 」を参考資料としている。 ドイツ語の詩脚

日本語やフランス語は音の高低を、ラテン語等は音の長短を、ドイツ語、英語などは 音の強弱を特色としている。 ドイツ語の詩脚 (Versfuß) Jambus  (弱強調)      hinweg, wieso, o weh, zu dir Trochäus  (強弱調)      Wiese, Vater, morgen, kommen. Amphibrachys (弱強弱調)      Hernieder, erhaben, vergangen, im Walde. Kretikus  (強弱強調)      Zielerpicht, ratzekahl, totenbleich, Herr der Welt. Anapäst (弱弱強調)      Anapäst, Dramaturg, in der Nacht, muß i denn.  Daktylus  (強弱弱調)     Daktylus, vielerlei, schwankende, Wanderer. Päon (強弱弱弱調)      Vorsingende, fernliegende, weitschweifige, vorsichtige Spondeus (強強調)      Holzpflock, Walstatt, Dankwart, Wetteil

などがある。ドイツ語は、アクセントのない音節とアクセントのある音節、またはアクセントのある音節とアクセントのない音節という交替を最も好むので、Jambusと Trochäus 以外はあまり用いられない。多くの古典戯曲や詩はJambus で書かれている。この韻律はなにか不安で、切迫したものを持っているが、Trochäus の詩行はこれと比較すると何か後退するものを持っており、Jambus よりも静かで落ち着いている。(注1)

・ Jambus (弱強調) とTrochäus (強弱調) の詩をあげてみる。 Der Lindenbaum(菩提樹) W.Müller Am Brunnen vor dem Tore, (弱 強 弱 強 弱 強 弱) Da steht ein Lindenbaum (弱 強 弱 強 弱 強) Ich träumt' in seinem Schatten (弱 強 弱 強 弱 強 弱) So manchen süßen Traum (弱 強 弱 強 弱 強) Ich schnitt' in seine Rinde (弱 強 弱 強 弱 強 弱) So manches liebe Wort; (弱 強 弱 強 弱 強) Es zog in Freud' und Leide (弱 強 弱 強 弱 強 弱) Zu ihm mich immer fort. (弱 強 弱 強 弱 強)

Der Lindenbaum の詩は3節からできているが、1節のみをあげた。この詩は Wilhelm Müller(1794~1827) の連作詩Die Winterreise「冬の旅」(1824年)の5番目にあたる。Franz Schubertは「冬の旅」を1827年に作曲している。

Heidenröslein(野ばら) J.W.Goethe Sah' ein Knab' ein Röslein stehn, (強 弱 強 弱 強 弱 強) Röslein auf der Heiden, (強 弱 強 弱 強 弱) War so jung und morgenschön,  (強 弱 強 弱 強 弱 強) Lief er schnell es nah' zu seh'n,  (強 弱 強 弱 強 弱 強) Sah's mit vielen Freuden, (強 弱 強 弱 強 弱) Röslein, Röslein, Röslein rot, (強 弱 強 弱 強 弱 強) Röslein auf der Heiden. (強 弱 強 弱 強 弱)

Heidenröslein は Johann Wolfgang Goethe (1749~1832) の詩である。 ゲーテは自分の歌が国民の間で歌われることを心から望んでいた。

 ---(注2) 1827年5月3日にゲーテは、生涯の友エッカーマン(Johann Peter Eckermann)(1792~1854)に対して古代ギリシャ人の悲劇を賛美し、その時代と国民をほめている。ゲーテは、その優れた特質は一詩人、一ジャンルに限られるものではないことを強調して、「そのような特質は、ただ個々の人々に具わっていただけではなく、国民と時代全体に属するものであり、そこで重んじられていたものである、と信じなければならないでしょう」と述べている。 さらにゲーテは、スコットランドの詩人バーンズ(Robert Burns)(1759~179)を例に取って、「先祖の古い歌が、国民の口に歌い継がれてきたこと、その歌が、いわばかれのゆりかごのそばで歌われていたこと、彼が少年の時そんな歌を聞きながら育ったこと、この素晴らしいお手本が彼の心に深く刻み込まれたので、彼はこれを基礎にしてさらに進歩することができたのだ。こういうことがなかったら、かれはどうして偉くなれるのか、--- さらにまた、彼自身の歌が国民にさっそく喜んで迎えられ、野原では、草刈りや稲を束ねる女たちに歌われるのが聞こえてき、飲み屋では陽気な仲間たちにそんな歌で迎えられた。こういったことがなかったら、かれはどうして偉くなれるのか」と語っている。---

この物語詩(Ballade)は、シュトラスブルクで1771年に書かれたらしい。1602年のパウル・フォン・デア・エルスト(Paul von der Aelst)の歌集の中の長い詩の中に、この詩のリフレーンと2,3の言い回しが載っているので、ゲーテはこの歌集をヘルダー(Johann Gottfried Herder)(1744~1803)の所で見たと考えられる。 1789年に「野ばら」がゲーテの「著作集」に出る。 この詩は7行節3節の詩だが、最初の1節を載せた。 ----------------------- (注1)ゲーテの詩とドイツ民謡 赤井慧爾著 南江堂 (注2)ゲーテの詩とドイツ民謡 赤井慧爾著(南江堂)の1ゲーテの詩と民謡 -----------------------


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