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妻鳥純子

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「ドイツ歌曲への誘い」 Vol.5 F.シューベルト「冬の旅」~前半~  を終えて 25.2

  • 妻鳥 純子
  • 2016年2月25日
  • 読了時間: 15分

F.シューベルト「冬の旅・前半」の「ドイツ歌曲への誘い」Vol.5 の会を終えてそろそろ 3か月になろうとしている。新しい年を迎え、次回の3月26日の「冬の旅・後半」の「ドイツ歌曲への誘い」のチラシも先週出来上がったというのに。  おかげさまで、会を重ねるごとに、少しずつではあるがいらしてくださる方が増えていることは、大変嬉しいことである。 真鍋和年氏の講義が大変興味深いので引用しようと思う。                    プログラム次第 真鍋和年氏講義     ♪ F.シューベルト とその時代

皆さん、今晩は!ナヴィゲーターを務めます真鍋でございます。よろしくお願いいたします。  今回は、5回目と言うことで、妻鳥純子先生の音楽サロンを始めたいと思います。お陰さまで多くの方々に支えられまして、5回と言うことで。あの、ひょっとしてこれ続くのかなぁ~!とかなり心配しておったのですが、ありがとうございます。多くの方々に来ていただきまして、で、今日は、この冬の季節にふさわしい「Die Winterreise」(冬の旅)を勉強してみたいと思います。  え~、この「冬の旅」Schubertのこれは、ドイツリートの最高傑作と言われているものです。あるいは世界で演奏されております歌曲のうちの最高峰という、そういう名曲でございます。これについて、今日と次、3月26日ですが、2回に分けて妻鳥先生の演奏を聴かせていただこうということでございます。  このSchubert の「冬の旅」の原作は、ヴィルへルム・ミュラー Wilhelm Müller という詩人でありまして、そのMüller と言う人が作りました詩にSchubert が曲を付けたものでございます。このMüller は、この「冬の旅」の前に「美しき水車小屋の娘」 Die schöne Müllerin という詩を書いておりまして、SchubertはこのMüllerの詩と出会って、こういう最高傑作を書くということになるわけです。で、まあ、Schubert は大変有名なのですけれども、Wilhelm Müllerにつきましては、まぁ、今までは、大変凡庸な詩人である…‥と。Schubert により永遠の命を吹き込まれた…‥と。Schubert が曲を付けなかったら、忘れられていただろう…‥と言う風にずっと言われてきたわけです。 私などもずっとそういう風に思い込んでいたのですが、今Müllerの再評価と言う事業がすすんでおりまして、生誕200年を記念して「Wilhelm Müller著作集」全5巻なども出ておりますし、国際Müller学会というものも開催される、と言う風になっております。

え~、それでですね、この「冬の旅」ですけれども、これから詩について、少し見てゆこうと思うのですけれども、このWilhelm Müllerの詩なんですけれども、これは、後半で取り上げたいと思うのですけれども。 Müllerという人は、ナポレオン戦争ですね、ナポレオンがドイツ、それからロシアに遠征をする…・‥で、ドイツの諸国はナポレオンに征服されるわけですね、で、1812年ロシアでナポレオンが大敗をして退却をする中で、プロイセン、オーストリア軍がナポレオンに宣戦を布告して、熾烈な戦いになるわけです。そのMüllerはもともと早くナポレオンに征服されたラインラントの出身の人ですね。丁度その戦争の時にベルリン大学に入学しておりまして…‥。ベルリンはプロイセンの牙城なんですね。で、まぁ、あの例のフィヒテと言う哲学者が「ドイツ国民に告ぐ」と言うような有名な演説をして、ナポレオンに対してドイツの若い人達が志願兵としてナポレオン、フランス軍との戦いに立ち上がるわけです。その中で、Müllerはプロイセン軍に志願する‥‥と。ところが故郷の人達は、ナポレオン軍に編成されているわけですね。故郷の人達と戦わなければならない、と言うような立場におかれたわけですね。 で、あのDresdenとか Leipzigで激しい戦いがあるのですけれども、「バウツェンの戦い」というのがありまして、ここでの戦いが、11万人のプロイセン、ロシア対20万人のナポレオン軍が対決するんですよね。プロイセン軍では1万2千人の死者が出る。 ナポレオン軍では2万人の死者が出る。その戦いの中でMüllerは、かろうじて生還をする、 という体験をしております。そういう中で、ナポレオンが敗退をする…‥という中でMüllerは除隊をするわけですれども、ベルギーのブリュッセルで除隊をする、ということになるんですね。 それで、ブリュセル(Brüssel)、から故郷のデッサウ (Dessau)という町に、600KM位あるのですけれども、冬に歩いて帰るんですね。それがMüllerの詩の体験になっている。そういう激しい戦いの中で、何万人もが死ぬような戦場の中で生き延びる。それから除隊してから真冬に600Kmの道のりを歩いて…‥まだ鉄道が通ってないですから、普通馬車やなんかで移動する、そういう時代ですね。その体験があります。 もう一つはですね、その体験に基づいて「冬の旅」という詩を書くのですけれども、その詩にSchubertが出会うんですが、先ず、今日演奏する12曲、これが「ウラニア」という雑誌に発表されまして、それにSchubertが感動して曲を付ける、という。その後でまた新たな詩が発表されているのを見つけるんですね。で、後半を又別途作曲するのですけれども。

その時のSchubertの情況ですけれども、1824年の頃ですけれども、前回もお話いたしましたけれども、Schubert は不治の病と言われる「梅毒」に侵されていまして、1824年の頃には、もうかなり病状が顕在化しておりまして、非常に、自分自身ももう長くないんではないかと思っていたわけです。で、こういうことを書いています。Schubertが友人に宛てた手紙なんですけれども。

「僕は自分がこの世で最も不幸でみじめな人間だと感じる。健康はもう決して快復しようとはしない。その為絶望のあまり事態を少しでも良くしようとしないで、ますます悪くしてしまう人間を想像してみ給え。輝かしい希望は潰え、愛情と友情からも酷い苦しみしか受けず、美に対する感情も消え去りそうになった人間を想像してみてくれたまえ。そういう人間は最もみじめで最も不幸ではないかと自問してみ給え。安らぎは消え、心は重い。安らぎはもう二度と見いだせない。僕は毎日そう歌いたい位だ。なぜなら毎夜寝床につく時、もう二度と目覚めたくないと思うのだが、いつも朝の訪れが昨日と同じ苦しみを予告するからだ。」というようなことを書いていまして、Schubert の状態は非常に悪い…‥。そういう中で作曲、曲を付けたわけであります。

まあ、内容を見ればわかるのですけれども、テーマとしては恋と人生に幻滅し、冬のさすらいの果てに、死のみを思い描く青年をテーマにしたものであります。ところで、この中でですね、主人公は旅をするのですけれども、主人公は一体何者なのか? 具体的な人間像というのが良くわからないのですね。これと、まぁ、前に作曲されたDie schöne Müllerin「美しき水車小屋の娘」というのは、これは「粉ひき職人」だというのが、はっきりしていまして、これにでてくる恋人も、青い眼、ブロンドの髪の娘である、ということがはっきり書かれているのですけれども、この「冬の旅」ではそういうことが一切書かれていない‥‥と。又、恋人の方ものっぺらぼうなんですね。ただこの中で一箇所だけ、後でご紹介しますけれども、この旅人、主人公というのは、髪が黒い、ということだけがわかるのです。そういう主人公なんですね。で、まぁ、あの少し中を見てみますと、お配りしたTextをちょっとご覧になってください。え、先ず最初に「おやすみ」という(…・‥…‥座って喋らせていただきます。‥‥‥)  Gute Nacht というのが最初に出てくるのですけれども、一番最初の単語が " fremd " これ非常にこの全編を通して意味のある言葉でして、まあ、「よそ者」であるとか、「無縁の者」「無関係である」とか「うとい」とか、そういう意味なんですけれども。これを哲学者、ヘーゲル(注:Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770年8月27日 - 1831年11月14日)なんですけれども、「Entfremdung」という用語を作るんですけれども、それは「疎外」、まあ、ドイツの哲学では非常に大事な概念ですけれども、最初に「疎外されたものである」、社会からも疎外されたものである、ということを前面に押し出しているのです。 「5月は私を沢山の花束で出迎えてくれた。」とか書いています。で「娘は愛を語り、母親は結婚さえも口にした。」のに…‥。ま、非常にハッピーな出だしなんですね。ところが、暗転をするわけですね。何故か、先を読みますと、白く覆われた荒れた道に、私は獣の足跡をたどって行こう‥‥とあり、ここから離れることになるわけです。で、犬に追い立てられてこの街を出てゆくんですね。 このSchubert の「冬の旅」の中では犬というのが所々で出てきまして、第1曲目、 第17曲目(村にて)、最後の24曲目(辻音楽師)の中で犬が出てくる。その犬はどれも吠えたてるんですね、主人公に。いつも犬が吠えたてている、ということですね。 それでその下の方には「愛はうつろうものだ。」と。この恋人は心変りがするんですね。それで「神様がそうお創りになったのだ。」と言ったようなことを言っています。で、「美しい恋人よ、おやすみ」ということで、「夢の中にいるお前の憩いの邪魔をしようとは思わない。」私の足音を聴かれないように静かに静かに扉を閉める‥‥ということで、ここから出てゆくわけですね。 まぁ、このあたりも色々議論がありまして、別の所にこの主人公が住んでいて家の前を通って、そこに「おやすみ」と書こうとしたんだ、という説もありますけれども。足音を聴かれないように扉を閉めて、というのだったら、そこの家に一緒に住んでいたんだろう、というような、そういう解釈もある。その場合ですと、多分親方の家に住み込んでいて、恋人というのは親方の娘であったんだろう、というそういうような解釈になるわけですね。

で、もう少し行ってみますと「風見の旗」第2曲目です。 次の曲の一番最後で、「あなた方の子供は金持ちの花嫁ではないか。」というようなことを書いていますけれども、要するにこの恋人は心変りがして、別な男と結婚をする、ということになるわけです。これも解釈があって、金持ちの男と結婚するのだ‥‥というのと、この娘自体が金持ちの娘であって、貧乏人とは結婚しないよ‥‥ということだという解釈がございますけれども、いずれにしても別れてしまう、ということで、さまようわけです。それでですね、まぁ、時間のことがすこしあれですから、ずっとそういう暗い夜の道、あるいは辺境をさまようわけですけれども。

この主人公はですね、話の全体の中で大事なところ、第21曲、宿というのがあります。 「はたごや」とかいろんな訳がありますけれども、これを見ますと、さまよった果てに墓地へ入ってゆくんです、この主人公は。 で、そこには、緑の花が飾ってある、そういう墓がある。で疲れた旅人を冷たい宿へ迎えてくれる、という所ですね。あるいは、この宿の部屋が全て塞がっている、という。これは最後の希望としてお墓へ入ろうとしているのだけれども、そのお墓からも拒絶される、という、そういうことを意味しているんですね。  つまりもう、永遠にさまよわなければならない運命という、そういう話になっているわけです。これはですね、ヨーロッパのキリスト教周辺の説話と言いますか、「さまよえるユダヤ人」あるいはDer ewige Jude「永遠のユダヤ人」、もう死ぬことも出来ずに永遠にさまよわなければならないユダヤ人の話が出てきますけれども、実はこの「冬の旅」というのはそういう話を下敷きにしているんだと。  このWilhelm Müllerというのは「さまよえるユダヤ人」という詩も別に作っていまして、そういう暗澹たる話である、という所で、長くなりますので、妻鳥先生にご登場いただきましょう。お願いいたします。

・訳詞朗読(真鍋ひろ子女史)   1.おやすみ 2.風見の旗 3.凍った涙 4.氷結 

♪ 演奏 1.おやすみ 2.風見の旗 3.凍った涙 4.氷結 ・訳詞朗読(真鍋ひろ子女史) 5.菩提樹 6.あふれる涙 7.川の上で 8.かえりみ  ♪ 演奏 5.菩提樹 6.あふれる涙 7.川の上で 8.かえりみ 

「さまよえるオランダ人」というのがありますよね。あれなんかの下敷きになっている。もう死ぬこともできない、ず~っとさまよわなきゃいかん、という、そういう話なんですね。 それはですね、中世末期にそういう説話が流布されたんです。 え~、十字架を担って刑場へ赴くキリストがアハスエルスという靴屋の前で休息を求めたんです。その時に、靴屋はこれを拒絶して「早く歩け‥‥」という風に催促をした。…‥ その時キリストは「汝、われの来るを待て」と答えて立ち去った…‥と、こういうことです。これ以来アハスエルスは、故郷と安息のない、永遠に死ねない身体で最後の審判まで、地上をさまよう運命を負わされたという、そんな話ですね。それ結構ヨーロッパ、キリスト教世界では流布しているんだそうです。そういう話を「冬の旅」は下敷きにしている、ということです。

え~それでですね、あの~少し、Wilhelm Müllerという詩人について。あまり書かれたものがないし、資料というものが今までなかったんですが、先程も言いましたように再評価の気運が高まっているということで。ちょっと今日持ってくるのを忘れたんですけれども 三宅幸夫さんという、慶応大学文学部の先生が書いたSchubert「菩提樹はさざめく」の最後にMüllerについて書かれたものがあったのと、渡辺美奈子さんという、Schubertの研究家が博士論文でMüllerのことをかいている、それをちょっとだけかじったんです。 それに載っていたと言いますか…資料で少しMüllerについて紹介してみます。

1794年の生まれです。アンハルト・デッサウ公国という所で生まれました。Schubert より3歳年上ですね。で、亡くなったのはSchubert より1年早いんですね。お父さんが仕立て職人の親方だったんですね。で、お母さんが教育とか教養に価値を認める、そういう新しいタイプのお母さんだったということで、7人兄弟の内6人が亡くなってしまって、このMüller一人が生き残って、非常に可愛がられて教育を受けるんですね。 で、このMüller が住んでいたのが、Dresden の町中、ドイツの多くの都市というのは、Burg、城壁に囲まれているわけですね。ザルツブルグとかフライブルグ、マグデブルグとかハンブルグなど、Burg ばかりですね。それは城壁都市だということです。で、この「菩提樹」なんかも、その城壁 Tore と言う城門の前の、旅人が憩う水飲み場、噴水、井戸、そんなものが、そこに菩提樹がありましたよ…‥というそんな話なんですね、実は。 で、このMüller は、この城壁の中ではなくて外に住んでいたんです。ユダヤ人が多く住む開発区に居住しておりました。ところが、そういう地区なんだけれども母親が非常に熱心であって、職人コースVolksschule,国民学校ではなくて、大学へ進学可能な Hauptschule というところに行かせてくれるのです。それで基礎が出来ていまして。 14歳になった時に教育熱心だったお母さんが亡くなります。で、翌年お父さんは、肉屋の親方の寡婦と結婚します。その新しい母親の持参金で、大学へ進学できる─── ということですね。 で、1812年、ナポレオン支配下のベルリンに創設されたベルリン大学の哲学科、哲学に進学します。その直後、1812年というのは、誰でしたっけ、曲がありましたね。 (会場から「チャイコフスキー」という声がする。)‥‥‥(真鍋)「ちょっと惚けがすすんで‥‥」(会場から笑い声…) 要するにナポレオンがロシアで大敗をきして退却する、という時期ですね。で、この機に乗じて、ドイツ諸国では蜂起が進んで反撃するという、そういう中で戦場をくぐり抜けて生還するのです。 1814年にですね、Müller はナポレオン軍の軍人の妻であって、ユダヤ人と思われる女生との恋愛事件だったようです‥‥をひきおこします。で、これは女性の背信で破局になるんですが、軍からは処分されて軍を追い出されるようですね、で、恥辱に満ちた数か月と、そういう表現で書かれています。 このMüller はこの頃から詳しい日記をつけていまして、研究者がそれを解明したようですね。で、人生と世の中に絶望しつつ冬の野を歩いてDresdenに帰ってきた‥‥ということです。1817年になってプロイセンのある貴族に随行してギリシャに行こうということになりますが、途中イタリアで喧嘩をして帰ってるんですけれども、その頃ギリシャでは、イギリス人のバイロンなんかが参加しますけれども「解放運動」が盛んだったんですね。オスマントルコからギリシャ解放運動が盛り上がっていた時代です。で、ギリシャについても触れる、ということですね。 で、その後Dresden で 教職を得ます。勉強していますから、ラテン語とかギリシャ語、あるいは地理とか歴史、そういったものを教えていたようです。それとアンハルトの侯爵の図書館司書として職を得ます。それをしながら、ジャーナリストとして活躍するという。 で、1820年、その頃詩集を出すんですね。 この最初の詩集の中にですね、最初に出した詩集「旅するヴァルトホルン吹きの遺稿から77の詩」第1冊目、これに「美しき水車小屋の娘」が入っていて、これは、Carl Maria von Weberに献呈をしていまして、その後1824年に「冬の旅」が入っている第2冊目を出す、ということになるんですね。で、後にこのMüller はDessau の行政長官の娘、著名な教育者の孫と結婚する。その結婚した相手は貴族の家系の人ですね。で、Dessau で 宮廷顧問官までなるわけです。で、安定した収入、名声、社会的地位、この幸福の絶頂で、 この「冬の旅」の詩を作る、ということになるわけですね。 Dessau の宮廷では非常に優遇されまして図書館司書という立場ですけれども、豪華な宿舎も用意してくれまして、毎週詩の朗読会をやっている、文化的な社交場として、この Müller が活躍する、ということですね。で、1827年に Schubertの亡くなる1年前に卒中の発作で亡くなりました。

それとですね、ちょっと用意してきたんですが。 Schubert が生きた時代というのは、「ビーダーマイヤー」という言葉を聞いたことがありますかね。まぁ、あの「小市民的」、内向的な文化なんですけれども、え~、メッテルニヒ体制ですね、あのウィーン会議、1814年、1815年、その後メッテルニヒが古い体制を復活させよう、ということで辣腕を振るうわけですけれども。その社会というのは、官憲による監視社会ですね。自由主義運動を弾圧する、思想統制をおこなう、そういった時代でして、当然フランス革命の理念による自由とか平等とか、といった理念が流布していますから、激しく衝突するわけですね。で、学生たちは反体制運動を激しくやる、それでSchubert の友達Schubertiadeの中にも、そういった運動に参加する人がいまして(注:Johann Chrysostomos Senn ヨハン・クリソストモス・ゼン、)ウィーン大学の学生ですが。 え~、コツェブー事件というのが世界史で出てくると思うのですけれども、その、コツェブーという、文学者、反動的な人なんですけれども。その暗殺を学生たちの誰かがするのですけれども、そのSchubert の友達 ゼン という友達が暗殺の嫌疑をかけられる。そこに居た時に官憲に踏み込まれて、Schubert も 逮捕されてしまう、という事件がありました。少なくとも、Schubertもやはり芸術家として、自由とか、そういったものに非常に想いを思っていたわけですね。そういった時代です。その時代、やっぱり、監視社会の中で市民、というか、政治から逃避をして、小市民的な自己満足の文化を作り上げます。あるいは身近で、日常的な物に目を向けようとして、そういった小市民的な文化形態が生まれます。政治とか国際情勢には興味を持たず、家族の団欒とか、身の回りの食器、家具、そういったものに関心を向ける、ということですね。ですから非常に、社会意識とか政治意識とか、そういう葛藤があったんですね。 それでストレートに表現すると統制と言いますか、検閲されるんですね。そういったところで、実はこの「冬の旅」、Müller もそうですけれども、微妙な表現で、なんというか、検閲にかからないように色んなことを書き込んでいる‥‥‥ということです。  で、メッテルニヒ、というか、体制の側は、実はあのウィーナーワルツ、これが大流行する。ワルツを薦めるんですね。それ以前までの貴族社会にあったメヌエット、レントラーという踊りではなくて、ワルツ。その時代では、大変下品な踊りだ、という風に言われていたようですけれども────。そういったものにのめり込んでゆく‥‥という、そういう社会にSchubert が生き、そして、作曲家として様々な作品を生み出した、という、そういうことです。 とりあえず、このあたりにしておきましょう。 ・訳詞朗読(真鍋ひろ子女史) 9.鬼火 10.休息 11.春の夢 12.孤独     ♪ 演奏 9.鬼火 10.休息 11.春の夢 12.孤独              (冬の旅 後半 3月26日予定)


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