「ドイツ歌曲への誘い」 Vol.6 F.シューベルト「冬の旅」 ~後半~を終えて
- 妻鳥 純子
- 2016年6月3日
- 読了時間: 21分
3月26日に終えて、こんなにも時が過ぎてしまった。やっと、講義の文章をおこすことができた。大変興味深い内容であった。 会の初めに真鍋和年氏の挨拶と解説があり、「冬の旅」No.13からNo.19まで、ピアニスト渡辺正子女史と演奏し、後半は、真鍋和年氏の解説の後No.20からNo24までを演奏した。 こんなに遅れてしまったのは、今年7月23日(土)西条市総合文化会館大ホールに於いて「妻鳥純子と音楽仲間たち」の演奏会の準備をしているためでもある。プーシキン賞を受賞しているバス歌手の岸本力氏、西条市出身のソプラノ歌手羽倉成美女史、ピアニストに山岸茂人氏と共に演奏する。追って詳細を載せたいと思う。
- 2016年3月26日 「冬の旅・後半」「ドイツ歌曲への誘い」No.6 真鍋 和年 講義 - 年度末、あるいは月末の大変お忙しい中を、ようこそおいでくださいました。ただいまから「妻鳥純子の音楽サロン」 第6回目になりますが、始めさせていただきたいと思います。 このサロンは、6回目でございますが、今回は、シューベルトの「冬の旅・後半」です。冬の旅、全24曲ございますけれども、前半12曲が一つのまとまりになっておりまして、これを、前回、演奏をしていただきました。今日は、第13曲「郵便馬車」 Die Post から 第24曲目の「辻音楽師」Der Leiermann までを演奏していただきます。 「冬の旅」全曲を、この小さな町西条で演奏するというのは、多分初めてのことですので、西条初演という記念すべき日になると思います。 ドイツリートですが、Lied 歌曲という風に訳しておりますけれども、ドイツ語も解りませんし、鑑賞するのがかなり難しいのですけれども、妻鳥先生に導いていただいて、少しずつ理解を深めていければなぁ、とそういう想いでこの演奏会を持たせていただいております。 それで、今日は、伴奏に松山から渡辺正子先生をお招きして演奏をしていただきます。また、妻鳥先生の方から後でご紹介いただきたいと思うのですけれども、経歴を拝見しますと、渡辺先生、イエルク・デムス…これはウィーンの名手ですね。Wien の三羽がらす、といわれた、フリードリヒ・グルダ、イエルク・デムス、バドゥラ・スコダ、このWien の三羽がらすと言われた、一人の方から教わっておられるということで、非常に楽しみにしております。シューベルトは根っからのWienっ子です。 Wienというのは独特の音楽の蓄積、歴史がありまして、ヴィーナーワルツでも、ちょっと、同じワルツでも違う、というところがあります。そういう味が伝わればなぁ…‥という風に思います。
そこで、前回ご紹介いたしましたが、「冬の旅」Winterreise ドイツリートの最高傑作です。内容的には、恋と人生に幻滅し、冬のさすらいの果てに死のみを思い描く青年を主人公にしたものです。もとの詩は、Wilhelm Müller (ウィルヘルム・ミュラー)という詩人が書いたものです。「冬の旅」24曲を書く前には「美しき水車小屋の娘」Die schöne Müllerin というのを書いておりまして、「冬の旅」はその「美しき水車小屋の娘」の続編的な感じの曲です。で、この Müllerというのが、私なども Schubertが曲を付けたから歴史に名が残った…と軽く見ていたのですけれども、「いや、そんなことはないよ…」ということで、今、かなりMüller の復権といいますか、再評価が進んでおりまして、この前ご紹介いたしましたが、2000年に著作集全5巻が出ておりますし、国際ミュラー学会なども開かれています。
Schubertの最後の歌曲集「白鳥の歌」の後半6曲は、Heinrich Heine ハインリヒ・ハイネの詩です。ドイツの素晴らしい詩人ですが、この詩人がMüller を大変褒めておりまして、非常に影響を受けた、という風に高く評価しています。そのMüllerの書いた詩、非常に難しいんです。これも前回言いましたけれども、ビーダーマイヤー(Biedermeier) の時代というのがございました。ナポレオンが没落して旧体制が復活する。それを指導したのがメッテルニヒですね。メッテルニヒの抑圧体制、社会全体が政治的に非常に抑圧をされた。言論とか、出版の自由というのが圧殺をされた。あるいは厳しい検閲を受けて自由に物が言えなかったそんな時代の作品です。シューベルトなんかもそういう自由主義的な傾向を持っておりましたから、逮捕されたりしたこともあるんですね。そういう時代のミュラーの詩ですので、あまりはっきり物が言えない、ということがございまして、良~く周到に読むと、「あゝ、そういうことが言いたかったのか」と納得されるんですが、ただ読むだけではなかなか気が付かない。
修辞学でメタファー、という用語があります。隠喩、とか暗喩、という風に訳されますが。「トタンが煎餅食べて、春の日の夕暮れは穏かです。」という詩があります。中原中也の詩集「山羊の歌」の最初の詩ですけれども、「トタンが煎餅食べて…」というのは、トタン屋根の向こうにお陽さんが沈む…というそれを言っているんですね。トタン屋根の向こうに陽が沈む…と言う風に言わないで「トタンが煎餅食べる…‥」これは、暗喩ですね。直接言わないで、異種の物事の名称を用いて暗示的に示す、と、こういったものが散りばめられております。直喩、というのは直接的な表現。例えば「幼年時代、私の上に降る雪は、真綿のようでありました。」雪が真綿のようだ、と。これは直喩です。中原中也なんですけれども、 ミュラーの詩は、そういう風に明示的に表現しない部分が多く、それだけに分かりにくいと思います。 そこで、お手元に配布させていただいております歌詞をご覧ください。 今日は、第13曲の「郵便馬車」Die Postから始めます。「郵便馬車」は、第1曲目の「おやすみ」Gute Nacht、これを受けて書いているようなものですね。失恋をして街を去る、というのが第1曲目にありますけれども、この「郵便馬車」では、郵便馬車のラッパの音が聞こえる、何故胸が高鳴る?それは、馬車がいとしい人が住んでいる街からやって来るからなんだ、とそういう詩なんですね。この伴奏では、馬が駆ける音とか、ポストホルンの音なんかを巧みにシューベルトが取り入れています。その辺りも注意して聴いていただけたら、と思います。それと、この第13曲は後半の中で唯一、明るい曲なんですね。恋人の姿もわずかにここには出てきますが、これを最後に恋人の姿は、一切、出てこなくなります。
その次が、第14曲「霜置く髪」Der greise Kopfです。ここで注意していただきたいのは、真ん中の辺なんですけれども、髪の上に霜が降りて真っ白になった…。と、で、この主人公は死が近づいてきた…と、喜ぶのだけれども、霜が融けてしまうと、黒い髪が現れた、と言っているんですね。ここは、24曲の中で、は、唯一、この主人公の身体的特徴を書いているところなんです。実は、この人は、黒い髪だった…ということがここにきて分かるんです。それ以外のことは、何も書いていないんですね。職業も分からないし、年齢も分からないし、痩せているのか、デブなのか、そういうことも全く分からない…。で、黒い髪の人というのがここで分かるだけです。 この黒い髪、というのは、やっぱり異質なんですね。 普通、ドイツ人だと茶系統の髪なんだけれども黒。これは異質な人ですヨ。共同体から疎外された人、ということを暗示しているわけです。私が調べたのは、三宅幸夫さんという慶応大学の先生が書いた「菩提樹はさざめく」という本と、梅津時比古さんという、この方は、毎日新聞を読んでいらっしゃる方はご存知だと思うのですが、毎日新聞の記者で「音楽コラム」をずっと書いている人なんですが、その後Köln の音楽大学に留学し、本当に専門家になって、今、桐朋学園大学の学長をしています。その人が書いた「冬の旅 24の象徴の森へ」、この2冊を根拠に喋っているだけなんですけれども…‥。いずれにしましても、主人公はやや異質な人であることがわかります。
それから、その次の第15曲「烏」Die Kräheですね。この烏は、第8曲あたりでも出てきます。第8曲では、烏が、雪の玉、とか、主人公に投げかけて攻撃をするという、そういう質の悪い烏が出てくるんですが、ここでは、その烏が非常に親し気に付き添ってくる、そういう風に烏のイメージが変わってきているわけですね。ただ、この烏は主人公が死んだ後、死体を啄もうとしようと思っているのか、というそういうやり取りもあるわけです。 次の第16曲「最後の希望」Die letzte Hoffnungです。一枚一枚葉っぱが落ちていくわけですが、その最後の葉っぱが落ちた時に、一番最後のところ、「私は希望の墓の上に涙を流す」と号泣をするわけです。一つ一つ希望が無くなってゆく、絶望の中で涙を流す、ということになっています。 「冬の旅」では、涙のモチーフ、涙が出てくる、というところが第3曲、妻鳥先生の訳ですと「凍った涙」、第4曲「氷結」、第6曲「あふれる涙」その3曲とこの16曲の中に涙が出てきますが、この第16曲で号泣した後、主人公は泣かなくなります。‥‥これは、最後に泣く曲です。 その次が第17曲「村にて」Im Dorfeです。ここには犬のモチーフが出てきますが、この犬は先程言いました、暗喩、メタファーということで見れば、鎖につながれた犬である、と。言論の自由とか、閉ざされた社会を暗示している、という風に読めるんだそうです。シューベルトを歌った偉大な歌い手、Dietrich Fischer Dieskauディートリヒ・フィッシャー・ディスカウ、更には、Peter Schreierペーター・シュライアー(旧東ドイツ出身のテノール歌手)がいますけれども、その人たちがやっぱりこの「村にて」を読むと、体制批判の要素があるんだ、と。非常に政治的な詩である、という風に言っております。 第18曲「嵐の朝」Der stürmische Morgenこれは非常に激しい曲です。ただ、冬の旅全曲の中で一番短い曲なんです。演奏時間が、ほぼ47秒~50秒、いろんな演奏家がCD を出しておりますけれども、なべて40秒~50秒位の曲です。長いものですと、一番最初の「おやすみ」Gute Nacht なんかは5分~6分かかっていますね。あるいは第5曲目の「菩提樹」なんかも5分位かかっていますけれども、これはたったの47秒、50秒という非常に短い曲です。だけれども、非常に隠れたメタファーが散りばめられております。そういうメタファー、象徴法でしか政治的な発言が不可能であった社会を背景として書かれたもので、権力に対する批判、と言ったものが盛り込まれている、という風に解説されています。中でも赤い炎、あるいは灰色の雲。雲が千切れたら青空が現れる。あるいは白い雲、そういった色彩感覚、赤、青、白という色彩を暗示しているので、これはいわゆる、3色旗ですね、フランスの革命の旗を暗示している、と、そういう風な解説がなされております。この真ん中の連は、恰も突撃喇叭、あるいは軍歌のように聞こえる、あるいは革命歌風に聞こえる、という指摘もなされておりますので注意して聴いてみて下さい。 その次の「まぼろし」Täuschungです。これにつきましては、一番出だしの所はシューベルトの、「アルフォンゾとエストレッラ」というオペラの一節を引いておりますが、これは劇場で演奏されなかったので、シューベルトとその周辺の人以外は誰も知らなかった、ということなんだろうと思います。ここでは、そういったものを引用しております。内容的には(Biedermeier)ビーダーマイヤー的な、小市民的な安逸をむさぼる人々に対する批判が込められております。 次は第20曲「道しるべ」Der Wegweiserです。ここで、主人公は「道しるべ」を見つけるんですけれども、その道しるべは、死に通じる道を示す道しるべであるということで、一番最後の行に「その道はまだ誰も帰らない道」と書かれています。それは死への道、帰ってこない、ということを暗示している、ということです。 次の第21曲 「はたごや」Das Wirtshaus は、道しるべに導かれて主人公は歩むわけですけれども、そこは墓場なんですね。荒涼とした冬の墓で、近い葬儀があったんでしょう、緑の花輪が飾られている。これは宗教的な当時の習慣です。そこへ導かれるんだけれども、疲れた旅人を迎え入れる時、冷たい宿、この宿の部屋は全て塞がっている。この宿というのは墓ですね。最後の安住の場所、お墓さえも塞がっている、拒絶されるということで、前回話しましたが、「永遠にさまようユダヤ人」というキリスト教説話の内容がここで示されております。 次の22曲目の「勇気」です。ドイツ語で 「Mut」と書いていますが、これは本当はエクスクラメーション マーク(exclamation mark)がついていたんだそうです。本当は「Mut!」「勇気を!」という、やや場違いな、墓を突き抜けたところで、勇気をという風な文言が入っています。 それから第23曲「幻の太陽」Die Nebensonnenです。「幻の太陽」というのは、気象学的には真冬の大気中の水蒸気が凍って光線が屈折して、そういう現象が自然現象としてあるんだそうです。ただ、メタファー、暗喩としては、キリスト教における3つの徳目、信仰と愛と希望というものを意味しておるんだ、という説があります。2つが沈んで、3つ目も早く沈んでくれ…と言っているんですが、その2つは何なのか、という論争もありまして、信仰と希望が沈んで愛がまだ残っている、という風な読み方もありますし、いやいや希望が残っているんだ、という読み方もあるようです。この三つの太陽というのは、どうも研究者によりますと、シェークスピアの「ヘンリ六世」の中に「……三つの太陽」という一節があって、どうもそれを引用しているのではないか、と言われております。最後が「辻音楽師」Der Leiermann ということです。先程お配りした資料をご覧ください。

真冬に裸足で町はずれに立って、ライエル、こういう楽器なんですけれども、演奏している。(ライエルの絵)多分この絵のような人がそこにいたんだろう、と思います。そういう風に見ながらお聴きください。そろそろ妻鳥先生、渡辺正子先生に入っていただきましょう。
───── 後半 ─────

それでは後半を始めたいと思います。お手許に配らせていただいた資料ですね。写真の右側(資料写真右側)これが実は、Wilhelm Müller が、「菩提樹」 (冬の旅第5曲) の詩を書いた町なんです。当時はアレンドルフAllendorf という、今は、バート・ゾーデン=アレンドルフBad Sooden -Allendorf という町になっているのだそうですけれども、ドイツの中央部ヘッセン州 Land Hessen の町ですね。Müllerの故郷 デッサウDessauからそう遠くないところにあります。ここにある菩提樹、初代の菩提樹は落雷で折れてしまい、そこから芽が出て、またこういう風に復活しているんだそうです。音楽の教科書で一般に広まっています近藤朔風の翻訳「泉に沿いて茂る菩提樹」とい風景とはちょっと違うでしょ。でも本当はこんな風にモデルが立っています。 テキストに戻ります。 第22曲の「勇気」Mut というのがありますね。それの一番最後「神が地上にお住まいでないなら、我ら自身が神になれば良い。」と、これは大変なことを書いているんですね。これは一体何なんだろうか、と思うんですが、色々説があるんです。私なんかが見ると、これ、フレーメイソンじゃないか…と読めるんですよ。で、実は、Wilhelm Müllerはフリーメイソンなんです。フリーメイソンと言っても何のことか良くわからないかもしれませんが。 古くからの「石工(いしく)」、石を細工する人達の団体を起源とする結社、友愛結社と言いますか、しばしば秘密結社、あるいは陰謀集団だと、あるいは世界征服を目指すユダヤの陰謀団体である…そういう誹謗を投げかけられた団体に属する人達なんですね。それというのも、その結社の中の様子は非公開で見られないんです。入会の際には目隠しをしたり、剣を使って色々儀式をするそうですが、それも会員しか知らない謎の団体みたいなところがありましてね。自分がフリーメイソンだということは名乗っても良いけれども、誰がフリーメイソンだというかは決して言ってはいけない、と、そういう風なことになっています。 ですから、歴史的には、カトリック教会から弾圧される、あるいは破門宣告される。あるいはナチス時代にもその拠点が全て解体させられる。あるいはソ連でも活動禁止というようなことで弾圧された団体です。ところが、 Wilhhelm Müller はライプチヒのフリーメーソンの支部、ロッジ、という風に言うんですけれども、ライプチヒのロッジに属していたメイソンです。その考えというのは「冬の旅」にも反映しているのではないか、という風に思います。 フリーメイソンの理念と言いますかね、これは、世界市民的な博愛、あるいは自由、平等の実現、あるいは寛容であったり人道主義、こういったものを理念とし、メイソンの会員同志はBrother 兄弟、という風に呼び合っている。そういうことであります。 で、Müller は明らかにメイソンである、という記録があるんですけれども、Schubert についてもメイソン説というのが根強くあります。ただ、その根拠がないじゃないか、との反対論があります。言えることは、メイソンであるMüllerが書いた詩に全面的に共鳴をして、これだけ素晴らしい傑作を生むんですから、メイソン的な考えはシューベルトも持っておったんだろう、と。 それで、有名な音楽家では、モーツァルトMozartはフリーメイソンです。ここに、私が持ってきたCD「フリーメイソンの為の音楽」というのがありまして、10曲程メイソンのためにモーツァルトが作曲しています。「フリーメイソンのための葬送音楽」でありますとか、「フリーメイソンのためのカンタータ」こういったものが入っていますが、これらはあまり知られておりません。代表的なところでは、「魔笛」Zauberflöte がフリーメイソンの世界なんですよね。これはよく言われているところです。例のザラストロSarastroがフリーメイソンの考えを表現しているんです。それに対して敵対する夜の女王、これが自由に対する迫害者、という、そんな風なことになります。で、メイソンの世界を表わしているのが、舞台がエジプトとなっているところです。中世に興ったであろう、フリーメイソン、多分、ゴシック建築なんかを建てる時に物凄い技術、技量が問われる。そういう人達は、もともとエジプトのピラミッド、スフィンクス、古代宮殿、そういったものから技術を伝承しているんだ、という風に言っていたようでして、エジプトが舞台というと、メイソンの匂いがするという、そんな風な感じなんです。モーツァルトは1784年、これは亡くなる7年前ですが、日付も分かっています、12月5日にウィーンWienのフリーメイソンのロッジに入会の申し込みをして、12月14日に許可された、という記録があります。
ウィキペディア より
階級 名称 和訳名称 区分1 区分2
1 Entered Apprentice 徒弟
2 Fellow Craft 職人 Blue Lodge
(ブルー・ロッジ、青ロッジ)
3 Master Mason 親方
フリーメイソンの世界には階級があるんですけれども、最初はアプレンティス(Apprentice)「徒弟」、次はFellow Graft という職人になる。次はMaster Mason という親方、になるんですけれども、Mozart は親方にすぐ出世したようですね。で、お父さんのレオポルトLeopold、あるいは、ハイドンHaydnを勧誘して入れています。それからBeethoven の「第九」の中に、An die Freude 「歓喜に寄す」というシラー Schiller の詩がありますよね。このSchiller は有名なメイソンなんです。で、あの詩の中にも「すべての人々は兄弟となる。」だとか「抱き合おう諸人よ、この星の上に愛する神がおられるのだ。」という詩がありまして、もう露骨にメイソンなんです。で、フリーメイソンは中世に起源がありますが、16世紀後半から17世紀の初頭、イギリスのピューリタン革命の時代ですね、イギリスで創設された友愛結社、近代のメイソンはそういうことのようです。 神について認めないわけではないんだけれども、宗教的な神、というよりも理神論、至高の存在として神を想定する、創造主、創造者としての神、そういった者を認めよう、というような、近代科学と融合したような部分があります。現在世界に600万人のフリーメイソンがいるのだそうです。アメリカが圧倒的に多くて200万人、あとイングランドとか、スコットランド、アイルランド、あるいはフランスあたりに多い。で日本はと言いますと2000人くらいいるそうですが、米軍関係者が多くて、日本人は300人。この会場の中にはいらっしゃらないんじゃないかな…と、思いますけれども、もし、いらしたら教えてください。
で、一番最初のメイソンが確認されますのは、イギリスのウィンザー城を作った時に、 1360年、と言われていますけれども、人数もわかっているんです。568人の石工を召集したんだそうです。そこに起源があります。そういう高度な特殊技能集団です。王侯貴族からも独立をしていまして、求めに応じて現場に入るんだけれども、相当な賃金を貰っていたようですね。他の色んな職人というのは、大体王侯貴族の飼い殺しみたいなことで、音楽している人も実は音楽職人で、そんなに身分は高くないんです。ただ石工は非常に高度な技術を持っていて、宗教建築、教会なんかを作る時に、ああいう、ケルン Köln の大聖堂とか、ノートルダム寺院 Cath?drale Notre-Dame de Paris とか、そういった物を作る技術を持っていたわけですね。その技術、知識、権利を防衛しよう、囲い込もうということで団結をして結社を作る、それが今日まで流れてきている─── ということです。 このメイソンが近代政治思想の形成に果たした役割というのは、あまり学問的には解明されていない、私なども実をいうと、政治思想史を勉強していましたけれども、メイソンの思想がどうこう、ということは教科書なんかには全く出てきません。だけれども、例えば、アメリカ独立戦争、あるいは独立革命という言い方をしていますけれども、ジョージ・ワシントンであるとか、ベンジャミン・フランクリンとか、トマス・ジェファーソン、ラファイエット侯爵、こういった「建国の父」と言われる人、56人中53人がフリーメイソンンなんですね。だから圧倒的にアメリカ建国にはメイソンが役割を果たしている。やっぱり自由とか平等とか博愛とか、理念を持っていた人達の、ある種理念国家だったんですね。アメリカの大統領でも、今のオバマさんまで44人の大統領がいますが、14人がフリーメイソンだったんですね。
ワシントン、モンロー、ジャクソン、ブキャナンとかフランクリン・ルーズベルトもそうで す。トルーマンもそうです。近年ではジョンソン、フォード大統領、そういった人たちがフリーメイソンだったんです。 ビジネスマンの世界でも、アメリカのフリーメイソンというのは、実はステータスでして、ある統計によりますと、トップビジネスマン15,000人中10,000人位がフリーメイソンの会員である、というような、そういう報告があります。あるいは実業界で言えば、自動車王ヘンリー・フォードであるとか、ウォルター・クライスラー、あるいは作家のスタインベックとか、 音楽で言えばデューク・エリントンとか、カウント・ベーシーとかナット・キング・コールとか、俳優ではジョン・ウェイン、クラーク・ゲーブルまでフリーメイソン。アメリカではフリーメイソンというのは非常に多いんです。
ニューヨークに自由の女神、という像がありますね。行ったことある人、たくさんいらっしゃると思うのですが、気が付きました?フリーメイソンのシンボルマークが入っているの…‥コンパスと直角定規の真ん中にGという文字が刻まれているんです。それはフランスのフリーメイソンがアメリカのフリーメイソンに送ったものなんですね。それから更に、戦後占領軍のトップであったマッカーサー元帥が非常に熱心なフリーメイソンだったんです。マッカーサーは昭和天皇を入会させようという計画を持っていたんだそうです。そうはならんかったんですが。あるいは幕末に日本に来たペリー提督、この人もフリーメイソンだったんです。さらにフランス革命を見てみますと、1773年にフランスのロッジ、グラントリアンGrand Orient=大東社、と言いますけれども、フリーメイソンの中枢拠点が出来まして、そこで自由、平等、博愛というような理念を掲げるんですけれども、フランス革命の理念というのは、まさしくこの通りだったんです。更にはフランス革命の宣言ですね、17条の人権宣言は、これはメイソンのロッジで起草されたんだそうです。で、フランスのメイソン、例えば「法の精神」De l'Esprit des lois を書いたモンテスキュー、あるいはヴォルテール、ディドロ、ダランベール、と、こういう百科全書派と言われる人ですね。あるいはミラボー、ラファイエットとか、あるいは空想的社会主義者と言われるサン・シモンであるとか、プルードン、あるいはラ・マルセーズというフランスの国歌を書いたド・リールという人もメイソンです。 日本では西周ですね。「哲学」なんていう言葉を編み出した、philosophy というのを「哲学」と訳した人ですね。あるいは津田真道という人、あるいは十河信二さんの師匠で後藤新平、この人は熱心なフリーメイソンだったんです。
あるいは皇族でも東久邇稔彦(ひがしくになるひこ)、あるいはボーイスカウトの最初の理事長(後藤新平が、日本ボーイスカウト連盟を発足させたんです。)で、三島通陽という人もフリーメイソンです。新しい時代では鳩山一郎さんは熱心なメイソンです。 ひょっとしたら、由紀夫さんもメイソンではないかと…・いつも友愛ということを言ってましたからね。誰がメイソンかは言わないですからわかりませんけれども。 あるいは一説には坂本龍馬も入っていたのではないかと…でもこれはちょっと怪しいです。 日本のメイソンの拠点は、知っている人いらっしゃるかなぁ‥‥。東京タワーの下の森ビルの 中に、ウォールト・ディズニーのDisney international Japanが入居しているビルに日本の 本拠があります。もし興味があったら行ってみて下さい。 で、音楽家や芸術家もですね、さっきモーツァルトの話をしましたけれど沢山いるんです。 バッハ親子、ヨハン・セバスチャン・バッハ、とエマニュエル・バッハもそうだったんじゃないか、という。あるいはベートーヴェンBeethoven 「歓喜」第九を書いていますけれども、本人がメイソンの集会で演奏したという記録があるんだそうです。それからシューベルトSchubert の先生であるアントニオ・サリエリAntonio Salieri 。あの映画「アマデウス」でモーツァルトに毒を盛る、というようなことに…‥。本当はそれは違うんですけれども…‥。あるいはリスト、ベルリオーズ、レーヴェ、メンデルスゾーン、ブラームス、シベリウス、あるいは指揮者でオッ トー・クレンペラー、こういった人たちがメイソンだったということのようです。 文学者でもスタンダール、ヴィクトル・ユゴー、ハインリヒ・ハイネ、ヘルマン・ヘッセ、ゲーテ、マーク・トゥエイン、コナン・ドイル、とか、オスカー・ワイルド、ツルゲーネフ、プーシキン、こういった人たちがメイソンだったんだそうです。
それで、メイソンの流れというのは、影響を受けて色んな結社がありますけれども、ロータリークラブ、ライオンズクラブ、ボーイスカウト、これは非常にフリーメイソンと親和性がありましてね、ロータリークラブの創始者ポール・ハリスという人はシカゴの弁護士だったんですけれども、フリーメイソンのメンバーで、ロータリークラブを起ち上げたと。ライオンズクラブのメルヒン・ジョーンズという人もメイソンのメンバーでしたが、1917年にイリノイ州でライオンズクラブを起ち上げました。 ボーイスカウト、これはロバート・ベーデン・パウエルというイギリスの陸軍少将が1908年に創設します。パウエル自身は、どうもメイソンではなかったんですが、その弟であるとか孫がメイソンの会員であり、第2代のチィー?スカウトで、パウエルの後継いだ人、サマーズ男爵という人はフリーメイソンです。 アメリカのボーイスカウトの設立メンバー4人中3人がフリーメイソン。日本の連盟でも、先程話ました後藤新平、あるいは三島通陽(みちはる)がフリーメイソンですし、日本ボーイスカウト連盟の名誉総長としてフリーメイソンのマッカーサーが、1949年から1951年まで 在任しております。 「冬の旅」はそういう風なフリーメイソンの考え方を反映した曲である、という観点を頭の片隅において聴いてみて下さい。 (以上)

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