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妻鳥純子

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「ルイーズが不実の恋人の手紙を焼きし折~W.A.モーツァルト」を終えて

  • 妻鳥 純子
  • 2017年10月22日
  • 読了時間: 18分

先月、9月9日に「ドイツ歌曲への誘い」vol.11 を終えました。当日の真鍋和年氏の講義「という奇蹟」と、会のご紹介をいたします。

ドイツ歌曲への誘い

      「ルイーズが不実の恋人の手紙を焼きし折~W.A.モーツァルト」vol.11

真鍋 和年 講義    「モーツァルトという奇蹟」

 皆さん、今晩は。ナヴィゲーターをつとめさせていただいております、真鍋です。

よろしくお願いいたします。

 時間がまいりましたので「妻鳥純子の音楽サロン」を始めたいと思います。今回は11回目を迎えました。皆様方のお支えの賜であります。先ずは、皆様方に敬意を表しますとともに、衷心より感謝を申し上げたいと思います。

 このサロンも、11回目にしていよいよモーツァルトにたどり着きました。

モーツアルト、皆さん方、どなたもご存知のことと思います。音楽の分野でのことですが、人類史上最高の大天才だと思います。そのモーツァルトについて、今日は勉強してみましょう。

素晴らしい作品ばかりなのですが、ケッヘル(Köchel) という、モーツァルト研究家のつけた作品番号ではKV626(Requiem,レクイエム)が最後なんですけれども、実際には800前後の曲が残されているということでございます。

(参考:ウィキペディアより引用)

ケッヘル目録(ケッヘルもくろく、独: Köchelverzeichnis)とは、ルートヴィヒ・フォン・ケッヘルによるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの作品目録。ケッヒェル目録とも呼ばれる。この目録中で付与されたケッヘル番号(ケッヒェル番号)はモーツァルトの音楽作品を時系列的に配列した番号で、モーツァルトの作品を表すために欠かせない世界共通の認識番号である。この配列作業を最初に行い、出版したのがケッヘルであり、目録の正式な書名は「モーツァルトの全音楽作品の時系列主題別目録 ("Chronologisch-thematisches Verzeichnis sämtlicher Tonwerke Wolfgang Amadé Mozarts")」(1862年)である。

そのモーツァルトにつきまして、最初に一言ご紹介をしておきたいと思うのですけれども、あの相対性理論のアルバート・アインシュタインが、ある人から

「死とはどんなものだとお考えですか?」と言う風に問われた時に、「死とは、モーツァルトを聴けなくなるということです。」と答えたんだそうです。という風に、ここにいらっしゃるサイクスの林さんもいつもこのことを語っておられますけれども、それ程モーツァルトというのは、多くの人が大切に思い、生活の中に溶け込んでいる作曲家であります。

早速ですが、今日は、5曲先ず最初に聴いていただきます。ケッヒェル番号で言えば、KV53という非常に若い時の作品から、KV73という20代の後半までの曲でございます。

これらは、ドイツリートの一番最初の傑作群であるかと思いますけれども、モーツァルトというのは、ある人が言うには「詩が音楽になり、音楽が詩になっているような、そういう世界ですよ…・」と。

是非、詩と曲双方を鑑賞いただきたいと思います。音楽による人物描写でありますとか、性格描写、あるいは心理描写が非常にうまく出来ていると思います。それでは先ず、詩の紹介から始めたいと思います。

真鍋ひろ子    訳詞朗読

♪ 歓喜に寄す          ・An die Freude KV.53

♪ おいで、愛するツィターよ   ・Komm liebe Zithter KV.351

♪ 私の慰めとなれ        ・Sei, du mein Trost KV.391

♪ 魔法使い           ・Der Zauberer KV.472

♪ 満足             ・Die Zufriedenheit  KV.473

          妻鳥純子  アルト

          渡辺正子  ピアノ

ここでしばらくモーツァルトについてお話をさせていただきたいと思います。その後、

十亀真理子さんの公開レッスンを致します。音楽関係の人は経験あるんでしょうけれども、我々全く立ち会ったこともないんで、今日は楽しみにしております。

 モーツァルトは、今、大天才だということを申し上げましたけれども、勿論名を成した音楽家は皆さん大天才なんですけれども、その中でも飛び抜けて天才。それは今からご紹介しますけれども、そういう天才の振舞いについて、あれこれ逸話がございます。

 先ずモーツァルトというのは、驚異的な聴音能力!…‥絶対音感というのがありますが、多分この中でも何人かは絶対音感を持っていらっしゃるのではないかと思います。

(妻鳥に向けて)小さい時から訓練したら出来るんですか?皆じゃないね。…・

(妻鳥)「訓練しないとだめだと思います、生まれつき持っている人もいらっしゃると思います。」

うんと小さい時からピアノなりヴァイオリンなりやりますから、日本人には結構多いんだそうです。ある音を鳴らしたら、「それは、何の音だ」と。ブラームスの時に紹介しましたけれども、ブラームスはうんと小さい時に、音をすぐ当てたらしいです。すぐに親は、叩いている鍵盤を見ているんじゃないかと、それを隠してやってもちゃんと当てる…‥

ということで。絶対音感というのがございますが。

今、基準になる音「ラ」が、440ヘルツなんだそうです。NHKの時報、ピッ、ピッ、ポーン…‥というのが440ヘルツ…・と一オクターブ上の880ヘルツ…・なんだそうです。

それを聴いて音が分かる人は音感が良いのだと思うんですが。

モーツァルトはそういう水準じゃなかったようですね。絶対音感というのは、いま、440ヘルツと言いましたけれども、過去にはいろんな基準があったようでして。

ベートーヴェンの時代は、430ヘルツ、あるいは古楽器なんかだったら、415ヘルツで。モーツァルトの時代が420から430ヘルツで、しかもそれは地域によってかなり違いがありました。モーツァルトは小さいころからあちこち旅してますから、絶対音感に縛られていたら、音楽出来ないんじゃないかという。でもそれは、即座に対応が出来たようですね。

そういう驚異的な聴音能力を持っていました。それから驚異的な記憶力(この後紹介しますけれども)を持っておりました。それから学習能力、これが極めて高かったんですね。本当に小さい7歳の時から、35年の人生のうち、3分の1以上旅をしてましたから、旅先で色んな経験、音楽的な経験を積む、それを全部モーツァルトはすぐに消化してしまう、というそんな人だったんだそうですね。3歳の頃ですが、5歳上のお姉さん、ナンナル、ナンネルと表記しているものもありますけれども、このお姉さん、当時ですから、ピアノ以前のチェンバロをやっていたようですけれども、そのお姉さんが練習しているところに行って、自分で和音を捜して、うっとりとしていた、という逸話が残っています。5歳の時は、ドイツ語ではピアノと言わない、クラヴィア―(Klavier)ですね。その小曲を作っておりまして、その時に作った曲の一つが、晩年、ケッヒェル番号で言えば、KV620 「魔笛」の中のパパゲーノ(Papagheno)アリアの中に、それを使っているんだ——と。5歳の時に編み出したものを晩年の、最高傑作の中に使った、という…‥これも凄いことです。で、8歳で交響曲を作ります。

11歳で、最初のオペラを作ります。KV38 、このオペラはラテン語のオペラです。モーツァルトはドイツ語だけでなく、ラテン語、イタリア語、フランス語、英語も凄く堪能だったそうです。7歳にして、これも良く言われるんですけれども、モーツアルトが住んでいたザルツブルグの宮廷楽団のシャハトナーというトランペット吹きと親しくしていたのですが、その人が持ってきたヴァイオリンを弾かせて貰って、その後、何日か経って自分のヴァイオリンを弾いたとき。8分の1音違うよ、ということを指摘したんだそうです。7歳で8分の1という分数を知っていたのかどうか…‥良くわかりませんけれども、そういう風に伝えられております。兎に角、ものすごく鋭敏というか、音に対して敏感だったようですね。ずっと小さい時、シャハトナーのトランペットの音を聴くと真っ青になって、へなへなと座り込み、これ以上聴くとひきつけを起こすんじゃないかと思われるほど音に対する感受性がありました。そういうことではいかん、ということで、かなり訓練して、10歳位には、トランペットの音に慣れてきた、という風にも伝えられております。あるいは、30歳の頃のことですけども、「後宮からの誘拐」というモーツァルトの傑作のオペラですけれども、その上演を見に行ったとき、第2ヴァイオリンの一人が、若干低い音を出していて、それが気になって、気になってついにオーケストラピットに入って行って注意したというエピソードも伝えられています。

沢山の人が弾いていますから、なかなかわからないだろうと思うんですけれども、モーツァルトは音の僅かな違いが気になって仕方がなかったというんですね。これは非常に有名な話なんですけれども、14歳の時です。ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂というのがありますが、そこでミゼレーレ(Miserere)という曲が演奏される、これ復活祭前の1週間だけ演奏されるのですが、その時にモーツァルトはこれを聴きます。この曲は門外不出、楽譜も作らない、そういう曲だったんです。モーツァルトはそれを、水曜の礼拝の時に行って聴きます。これは9声、演奏時間にして12分位の曲なんです。それをほぼ完璧に記憶して宿に帰ってから譜面にします。それでも、やや不安なところがあったので、金曜の礼拝にもう一度行って微修正をしたということなんです。門外不出ですから、これ楽譜が全然世に出てないですけれども、モーツアルトが作った楽譜をイギリスのバーニーという人が入手して出版した——と。当時ローマ法王はクレメンス14世という方だったようですが、本来ならモーツァルトは破門なんだけれども、その神業を賞賛した、とそういう逸話が残っています。そんな神業は、他の天才的な作曲家でもできなかったんじゃなかろうか。9声、12分の曲を覚えて帰って楽譜にしてしまったんですから。 

そういうモーツアルトにつきまして、非常に早熟であって神童と言われた人は、色々いるんでしょうけれども、普通は「二十歳過ぎればただの人」ということが多いんですが、モーツァルトは旅を重ねる中でどんどん学び吸収して、あのとおりの作曲家になってしまった…・ということです。曲も信じられないほど簡単に作ってしまいますし、多作でした。創作のスピードが非常に速く、あっという間に創ってしまうんですね。

 あの「フィガロの結婚」なんかでも6週間位。もう晩年に、皇帝からの注文で創った「ティトの慈悲」というのも18日。これも2時間を超えるオペラですけれども、その程度で創っています。頭の中で曲ができてしまいますから、楽器は別に必要ないですよ、と言うんですね。パリ時代に Sinfonia concertante(シンフォニア・コンチェルタンテ)と言うのを作ったとき、受取人が楽譜を無くしたと言うことがありました。その時モーツァルトは「頭の中にあるので、家に帰ったらもう一度書きましょう…‥」というようなことを言ったんだそうです。 あるいは、「イドメネオ」、これも傑作オペラですが、それを書いた時に、「全部作曲を終わりました、しかしまだ書きあげておりません」と言ったとか。要するに頭の中では作曲が出来てしまった、というそんなことだったようです。また、頭の中で同時に2曲作曲したりすることもあったようです。「モーツァルトの手紙」という、こういう本が出てますけれども、これ「岩波文庫」です。モーツァルトが書いて残っている500位の手紙のうちの300位を、日本語に訳しているんですけれども、その中に「フーガと前奏曲を、今、同時に頭の中で創りました。」というようなことを書いています。1782年のことです。あるいは、お喋りしながら、それもお下劣な話、尾籠(びろう)な話をしながら、モーツァルトは作曲するんです。あるいは玉突きとか、ダンスをしながら作曲します。KV498、ケーゲルシュタット・ピアノトリオという佳作があります。良い曲なんですが、ボーリングをしながら作曲します。Kegel(ケーゲル)というのはボーリングのことです。ドイツは古くから9本のピンを倒すボーリングがあり、ルターがそのボーリングのルールを決めたという説もあります。それから、ハフナー・シンフォニーというのがありますね。ハフナーというのは、当時のザルツブルグの市長がハフナーという人だったのですが、その人に因んだシンフォニーです。これも、「知らない間に出来てました」と言ったらしいんですね。モーツァルトは「作曲している方が休息をしているよりも疲れない…・」とも言っていたそうです。そういう日常生活の中で、言語を操るように、頭の中で編み出した楽想を自在に五線紙に書き留めた人だ、ということですね。

 モーツアルト自身も言ってますけれども、「神様、こんなに豊かに授けて下さった作曲の才能を使わないということは、あり得ないことだ。」と。ずっと後年、亡くなる頃ですけども、レクイエムを書いているときに、「自分の才能を楽しむ前に死んでしまう」そんなことも語っております。

そんな風にモーツァルトには天才としての逸話が夥しくあります。尾ひれがついた、とかそんなレヴェルじゃあなくて、本当にそうなんだろう、という風に思えるような逸話です。今日、「モーツァルトの奇蹟」と演題を付けましたが、妻鳥先生から電話がかかってきて、「どういうテーマにするの?」と聞かれたときに、たまたま読んでいた「モーツァルト頌」という本から借用したものです。この本は、モーツァルトについての著名人の賛辞を収録したものです。さっきのアルバート・アインシュタイン、哲学者ヘーゲルであるとか、ショウペンハウエル、キエルケゴール、ニーチェとか、あるいは新しいところではサルトル、そういう人の言葉も入っていますし、ゲーテでありますとか、スタンダール、バルザック、サンテグジュペリ、画家のアングル、ドラクロア、ルノアールとか、そういう人達のモーツアルトを讃えた言葉を収録しています。その中で、ゲーテは「モーツァルトのような現象は何とも説明のつかない一つの奇蹟であることに変わりはない。彼の天才のデモーニッシュな精神が彼を支配し、彼はその精神の命ずることを遂行するより他なかったのだろう。デーモンが(魔神)が人類をからかい、愚弄するためにそうした人物を産み出してみせるのだ」————と、そんな風に言ってます。

 ゲーテはモーツァルトのこと、非常に評価していますが。モーツァルトが7歳で、最初の大旅行をした時に、フランクフルト・アム・マイン(Frankfurt am Main)で、14歳のゲーテが神童モーツァルトの演奏を聴いたという。それ以来ゲーテはモーツァルトの讃美者です。

そのゲーテが書いた「すみれ」Das Veilchen 。これゲーテの非常に有名な詩なんですけれども、モーツァルトはゲーテが書いたということを知らないまま曲を付けました。でもモーツァルト、それを気に入って作曲した。これが名曲なんです。その大ゲーテと知らずにだと思うんですけれども、一番最後5ページご覧になってください。一番最後に「かわいそうなすみれよ、とても可愛いすみれだった」と書かれてますが、これはモーツァルトが勝手に付け加えたものです。大ゲーテの詩に付け加えるということは、いかがなものかと思いますけれども、モーツアルトらしいと言うかあまり良くわかっていなかったということのようです。とりあえず、このあたりにいたします。

        (公開レッスン)  受講者 十亀真理子

                  講師 妻鳥純子

                 ♫ Das Veilchen

          ——————————————  後 半  ————————————

 そろそろ後半に参りたいと思います。

モーツァルトが天才だということを申しましたが、容姿や性格的なことも少しお話ししたいと思います。モーツァルトの身長ですけれども、いろいろ資料をあたってみますと目立って小さい人だったと。メディアというのは信用できるのかどうか、検死の結果163センチだったと、しかしそれはないだろうと、どう考えても。ある人は150もなかったんじゃないだろうかと。152センチ説とかいろいろありますが、音楽好きなお医者さんが書いたものによると、成長期の旅の影響で成長ホルモンが出なかったので150前後でなかったのではと、それにしても非常に小さい人だったようですね。蒼白で痩せて青白いそういう感じでした。髪は大変美しい髪で、モーツァルト自身自慢にしていたようです。

さきほど、驚異的な聴音能力といいましたが、モーツァルトの左耳は奇形でして、耳たぶがなかった。モーツァルトⅡ世になる次男クサヴァーがやっぱり耳たぶがなかったそうですね。亡くなる5か月前にその次男が生まれるんです。その頃、モーツァルトは、ジェスマイヤーという弟子を身近に使っていたんですが。最後にレクイエムを作曲している途中で、第4曲「涙の日」ラクリモーサを書いている時にモーツァルトは亡くなります。それ以降は、モーツァルトの生前の指示とか、スケッチに基づいてジェスマイヤーが完成するんですが、クサヴァーは、モーツアルトの病が篤くなった時期の子であったことから、実はジェスマイヤーのこどもではないかという説まで囁かれています。しかしクサヴァーも耳が奇形なので、それは違うだろうと証明になったという、そういうお話です。それで、モーツァルトは天才なのだけれども、非常にうっかり者あわてんぼうというか、いつも頭で作曲していましたから、気がまわらなかったんだろうと思われるのですが、ある面、音楽以外のことでは怠け者であったという証言がございます。仮装したりダンスをしたり、あるいは先ほど言いましたようにボーリング、トランプとかダーツとかビリヤードが大好きです。ビリヤードは相当上手かったようです。部屋にビリヤードの台を置いてやっていたようですね。また、非常に多動性、多動児だったようです。せわしなく体をうごかす、足をうごかす、首を回す、部屋を往復行き来する、身の回りの物をいじくり回す、何かを掴む、指でこつこつ叩く、指でピアノを弾く真似をするとか、あるいは食卓のナプキンをねじって鼻下をこすったりする癖もありました。よく人を馬鹿にしたような口つきをしたとか、本はあまり読まなかったと書かれています。感受性があるから詩を読めば感じるものがあって曲をつけられたのだと思いますが、シューマンとかブラームスは、大変な読書家だったんですけれども、モーツァルトは正真正銘の天才だったから勉強しなくてもよかったのかもしれません。

それと、モーツァルトの家系的なことを少しご紹介いたします。さかのぼれる範囲ですけれども、アウグスブルグ、アウグスブルグの和議なんていうのがありましたけれども、あの新旧教対立の中で和議がありましたアウグスブルグ、15 、6世紀ドイツで財力を誇った フッガー家の本拠がアウグスブルグですね。パプスブルグ家なんかにも大変なお金を貸していた。そのような大金持ちがいたというまちの出身です。分っている範囲では、1645年に石積み職人、あの石工ですね、ダービッド モーツァルトという人が、アウグスブルグに移住をしたという。モーツァルトは28才の年にフリーメイソンに入りますが、フリーメイソンのメイソンは石工のことです。先祖がそういう人だったのも関係があるかどうかはよくわかりませんが、面白いところです。モーツァルトのお父さんのレオポルドの親は、そこで製本師、製本業をしていました。レオポルドはここで誕生しますが、大変な秀才でザルツブルグ大学に入学します。哲学とか法学を学びます。三分の二の学費免除を受けていましたから、相当な秀才で優遇されていた。ところが音楽にうつつをぬかしたのか、2年次に欠席が多いということで、除籍処分になってしまいますが、その後音楽で身を立てていくようになります。ザルツブルグの名門貴族の伯爵家で召使い兼楽士・音楽担当者になりまして、ヴァイオリンとかクラヴィ―ア、パイプオルガンを習得いたします。ザルツブルグ宮廷楽団、ザルツブルグ大司教が世俗君主でもあって、ザルツブルグ周辺を治めていたんですね。ベートーヴェンを勉強した時のボン、ケルン大司教のケースと同じような感じです。ただ、ケルン大司教は選帝侯、神聖ローマ帝国の皇帝を選挙する選挙権を持っていたのですが、ザルツブルグにはそれはなかったわけです。ただ、ザルツブルグは、イタリアへの交通の要衝、あるいはミュンヘン、チェコの方面にも交通の便が良かったようです。交通の要衝でしかもザルツ(塩の意味)と言うくらいで、ソールト、塩の町です。金の鉱山もありました。ですから、大司教は結構、財力があったようです。そこで、宮廷楽団、そういうのも持っていたんですね。その楽団で父レオポルドは、ヴァイオリン奏者として身を立てます。最後は副楽長と、楽団のナンバー2まで登りつめるわけです。この人が、ヴァイオリン教程というヴァイオリンの教科書を書くんですけれど、これは8か国語に訳された、ヨーロッパでのヒット教科書です。あと、クラヴィ―アだと、バッハの息子のエマヌエル・バッハが書きますけれど、当時非常に有名な教科書になりました。そういう経歴を持ったお父さんが、モーツアルトの天才を見抜いて、徹底的にシステマチックに教育を施します。その教育は、教科書的なものもそうですけども、旅に出て、その旅先での音楽家との交流で学ぶんですね。イタリアですと、対位法という作曲技法がありますが、それを徹底的に学びます。当時のイタリアは音楽の大先進地なんです。神聖ローマ帝国の領邦諸宮廷の音楽のトップは、ほとんどイタリア人です。ハプスブルグ家のサリエリもイタリア人です。ご覧になった方もおられると思いますが、ミロス・フォアマンという人が「アマデウス」という映画を作りまして、それの中でサリエリというハプスブルグの宮廷楽団の楽長が、実はモーツアルトを毒殺したんだという話になっていますけれど、イタリアでオペラなども徹底的にに学ぶんです。その当時のイタリアのオペラというのもの凄く盛んでして、ある作曲家は200曲オペラ作ったとか100曲作ったとか、べらぼう創るんですね。それは、粗製乱造なんだろうとは思いますが、やっぱり開発開拓されるものがいっぱいあって、蓄積されるそれをモーツアルトは学びます。今の視点からすれば、ドイツ人がイタリアでそんなに学ぶっていうのはちょっとピンとこないんだけれども、その当時、文化に関しては圧倒的にイタリアが先進地だったんですね。美術の世界を見たときにわかるんですけれど、ダ・ヴィンチとかミケランジェロとかラファエロていうのは、イタリアルネッサンスの人ですよね。15 、6世紀の。圧倒的に進んでいるんですね。音楽もやっぱりヴィヴァルディなんかもそうです。イタリアの方が進んでいてそこから学ぶんです。モーツアルトは非常によく上手に学んだ人ですね。そういった成果を作曲に生かします。そろそろ後半にまいります。モーツアルトの歌ですが、オペラの中のアリアはたくさんあるのですが、いわゆるリート、歌曲というのはそんなにあるわけではなく、なぜか1785年から87年にかけて二年間、傑作歌曲を次々に書きます。それを今から妻鳥先生が演奏してくださいます。

            演奏     アルト   妻鳥純子

                   ピアノ   渡辺正子

      ♪ 自由の歌          ・Lied der Freiheit     KV.506

      ♪ 老婆            ・Die Alte         KV.517

      ♪ 秘めごと          ・Die Verschweigung KV.518

      ♪ 別れの歌          ・Das Lied der Trennung KV.519

      ♪ ルイーズが不実の恋人の   ・Als Luise die Briefe ihres ungetreuen

           手紙を焼きし折    Liebhabers verbrannte KV.520

        (アンコール)

          ♫ フリースの子守歌    堀内敬三 訳詞


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